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- 「夢と承知で」鼠小僧、大江戸青春絵図
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江戸の文政十一年(1828)十一代将軍家斉の頃のお話である。家斉といえば、小福者として有名である。側室が40人もおり、そのうち17人の女性が55人の子を産んでいる。28人の男子と27人の女子である。そのうち成育したのはわずか男子13人、女子12人であった。それにしても、これら産まれた子供が、成長するにおよんで、どのように処遇するのか、さすがの家斉も頭を痛めた。幕府財政は窮乏しており、いくら将軍といえども子供らの落ち着き先をみつけることは困難をきわめた。そこで、幕府は諸大名家へおしつけ養子や政略結婚という手段をとった。しかしおしつけられる大名家にとっては大問題である。将軍の子供といえば受け入れ体制をととのえるだけで莫大な金がかかる。しかも、大名家の世嗣との問題もやっかいである。なかでも尾張家や肥前、鍋島家では将軍の子供と世嗣をめぐって、深刻な暗闘が、繰りひろげられていた。鼠小僧次郎吉が、遠山金四郎と出会った時はこんな時代であった。遠山金四郎は、まだ部屋ずみの頃で、遊び人の暮らしをしていた。金四郎は次郎吉に天下の一大事を打ち明け、次郎吉に手助を求めてきたのである。この天下の一大事とは、江戸城の大奥に大原幽学という農政学者から密告があって、将軍家斉の暗殺計画があるというのである。暗殺者は、将軍家の強制的な養子縁組で将軍家を恨んでいる尾張藩と肥前藩の脱藩者である。それに、当時大阪で兇悪な盗人ばたらきしていた二代目葵小僧が充分な詮議もなく獄門にされたことで、公儀に恨みをもっている。脱藩者の潤沢な資金にも魅力があった。次郎吉は金四郎の話をきいて、一瞬ちゅうちょした。しかし、金四郎とは妙に気が合った。葵小僧の盗人の風上にもおけない畜生ばたらきが気に入らない。あんなやつに、江戸であばれられたらたまったものではない。天下の一大事に立ち合って、男の中の男になる?気もある。次郎吉は、ついに立ち上がった。次郎吉側の陣容は、大阪から葵小僧を追って東上してきた大阪東町奉行所与力、大塩平八郎。長崎から砲術の最新技術をもちかえってきた、高島秋帆。浮世絵師、安藤広重。それに、三河田原藩の江戸家老、渡辺崋山などの多士済済。といっても、金四郎をはじめ、彼らが、今日われわれが知っているような著名人になるのはずっと後のことで、当時彼らはみな無名の青年であった。次郎吉らはそれぞれの専門知識をもちよって、将軍暗殺計画を事前にうちくだく作戦会議を開く。しかし、あろうことか、この作戦会議に葵小僧が大原幽学になりすまして潜入していたのである。次郎吉側の作戦はつつぬけになっていた。作戦をたてなおさなければならない。次郎吉は脱藩者グループの殲滅から事を始めた。しかし、葵小僧は次郎吉をあざ笑うように、報復として次郎吉の恋人・お妻を陵辱したうえ殺してしまう。かつて、お妻の膝枕で陶然とききほれた゛柔肌 まくらに 小判の褥 夢と承知で みつづける゛といったあまい夢の世界が、次郎吉の眼前で音をたてて崩れていった。次郎吉はひとりつぶやく。「これでもう、ぬきさしならねぇおいらの戦になったぜ。公方も天下万民もあるけえ、おいら、おいらのために、お妻のためにどこまでも、戦ってやるぜ」次郎吉は愛する人を失い、復讐鬼になって葵小僧にたち向かう。すさまじい決闘が刻一刻ちかずく。だが、死力をつくした葵小僧との決闘のあと、鼠小僧次郎吉をまちかまえていたものは・・・・・・・。

- 1988-08-06 夜7時〜8時54分
- NTV
- 藤井克彦
- 風間杜夫 荻野目慶子・左 とん平・森川正太・木場勝巳・夏 夕介・佐藤 慶・松村雄基・奥田圭子・岡本 麗・大島瑤子・村田雄浩・萩原流行